振り返る厄年本厄年男、激動のウサギ年
2011.12.26
旅
2011年が終わるもうすぐ
なんという激動の年だったのだろうか
既存の私にとって変化・刺激・移動の多過ぎる年であった
安定志向は人並みに持ち合わせているとは思っているのだが
厭が応にも新しい環境に飛び込まざるを得ない状況から環境に飛び込んだ
24歳、この一年の自分の驚くほどの経験値は同い年の誰にも劣らない
自画自賛自慢自己研鑽は烏滸がましくて特に避ける自分ではあるが
歳末総決算という意味も込めて
犠牲にしたものもある気がするが珍しく自分を労おう
「よくやった、おつかれ」
さて、この糧・種は今後の自分にどんな芽を出すだろうか
ひょっとすると
既に容量をオーバーしていて器が壊れるのを待つだけなのかもしれない
もしかしたら
もう壊れてしまっているのかもしれない
他人も自分も気づかないうちに
思い当たる節はないことはない
その日を過ごすのに必死過ぎたのか
感じたこと考えたことが残っていない
「こんなことがあった」と人に説明ができないのだ
恐らくは
短期間に詰め込み過ぎて消化できていないのだろう
もしくは
すべてを覚えていたらストレスでオカしくなっていたのかもしれない
せめてもの脳の自己防衛なのか
とにかく今は
まだ身になっている感覚がない
少ししたら
経験を咀嚼反芻して
振り返る余裕が出てくるであろう日を待っている
考えすぎか
考えなさすぎか
それさえも今はわからない
なんという激動の年だったのだろうか
既存の私にとって変化・刺激・移動の多過ぎる年であった
安定志向は人並みに持ち合わせているとは思っているのだが
厭が応にも新しい環境に飛び込まざるを得ない状況から環境に飛び込んだ
24歳、この一年の自分の驚くほどの経験値は同い年の誰にも劣らない
自画自賛自慢自己研鑽は烏滸がましくて特に避ける自分ではあるが
歳末総決算という意味も込めて
犠牲にしたものもある気がするが珍しく自分を労おう
「よくやった、おつかれ」
さて、この糧・種は今後の自分にどんな芽を出すだろうか
ひょっとすると
既に容量をオーバーしていて器が壊れるのを待つだけなのかもしれない
もしかしたら
もう壊れてしまっているのかもしれない
他人も自分も気づかないうちに
思い当たる節はないことはない
その日を過ごすのに必死過ぎたのか
感じたこと考えたことが残っていない
「こんなことがあった」と人に説明ができないのだ
恐らくは
短期間に詰め込み過ぎて消化できていないのだろう
もしくは
すべてを覚えていたらストレスでオカしくなっていたのかもしれない
せめてもの脳の自己防衛なのか
とにかく今は
まだ身になっている感覚がない
少ししたら
経験を咀嚼反芻して
振り返る余裕が出てくるであろう日を待っている
考えすぎか
考えなさすぎか
それさえも今はわからない
この春から夏から秋にかけては目まぐるしくて思い出も忘れがち
2011.07.09
旅
タイムリーな話題は
というと、
直近の予定から遡っていくと、
●来週の火曜(7/12)から渡泰すること。
9/30に帰国予定なこと。
実情、不安。
不安、はなにが?
泰に3か月くらい暮らす、のも不安。外国に滞在なんてそりゃ初めてだから。
でもただ暮らす、ならなんとかなるだろう。
そんくらいのタフさは身についてるつもり。
泰での生活が不安、でなくて
泰で仕事する、のが怖いんだ。
みなさん
「タイはいいとこだよ、大丈夫」
「いいなぁ、私も行きたい」
「ごはんおいしいよ」
なんて声を掛けてくれたりするんですが、
お前ら行ったのは観光地だろ?
そりゃ観光「客」なんだからもてなされるだろうよ。
なんて思ったりするわけです。
もちろん参考にはなるのでアドバイス嬉しいのですが。
「行く」と「住む」では大違いなわけで、
まして仕事で行くので「お客さん」ではないんです。
職場は工業地帯だし、工期も決まってる。
やることやらなきゃはじかれるわけで、
言葉も文化も違う中でコミュニケーションとって自分が仕事進められるのか、
がこわいんですよ。
先輩も「出たとこ勝負だ」くらいしか声掛けてくれないし、
結局自分で準備も見繕わなきゃなんですよ。
甘えるつもりもないのでここは大丈夫ですが。
気を張った日が続くんです。
週6勤務で祝日もお盆もシルバーウィークもなくて、自分の誕生日も向こうで過ごす。
息抜きも最初はうまくできないだろうな、ってのもわかってるから
不安なんですね。
旅行で行ったことがある、なんて人が声を掛けてくれるの嬉しいんですが
「楽しいよ」
「ごはんおいしいよ」
と、とてもお気楽にアドバイスくれるのが心苦しく、
私は相談の言葉も飲み込んでしまうのです。
えぇ、とりあえず健康には気を付けます。
●昨日まで(7/8)、父親が勤務していたビルを解体していたこと。
東京の中心にあるようなビルの解体現場で仕事してました。
トラブル続きで、本当に一か月間ほぼ毎日早朝から夜までどっぷり浸かってました。
この案件で自分の仕事のやり方とかようやく見えてきたような気がする。
今まで上司には一応従順を決め込んでいましたが、
トラブルを通して上司の使えなさっぷりも散見したため、
上司に意見、反抗も少し覚えました。
「上司は責任をもつ、とるのが仕事」
ってほんとだなって思う。
その如何でこの人の下で働きたい、この人の下は働きたくないって
出ちゃうもんだね。
あたりまえだけど肩書と人間性は比例しない。
今まで責任をとらず、もしかしたら押し付けて肩書を手に入れた人もいるのかも。
お人よしは損をする、っておれはヤダね。
●先月上旬まで(6/10)、ごみ処理場の煙突をつくっていたこと。
これはいいや。
●先々月のGWに宮城に行ったこと。
●3/11に起きた地震のこと。
これはなんか書こうかどうか迷ったけど、今もあんまり書きたくない。
被災してないのに知った風な口をきいてしまうのではないかと思って。
ただ、怖くなった。泣きたくなった。
自分が住んでた場所、思い出のある土地が姿を変えて
自分の友人知人の安否がわからなくて
惑う皆になにも出来なくて
5月に実際に仙台港見に行ったときの感情は、自分の拙い文章力では表現できない。
明後日7/11で4か月。
その翌日に出発。
自分は日本の節電の夏から離れます。
これも協力になるのかしらね。
というと、
直近の予定から遡っていくと、
●来週の火曜(7/12)から渡泰すること。
9/30に帰国予定なこと。
実情、不安。
不安、はなにが?
泰に3か月くらい暮らす、のも不安。外国に滞在なんてそりゃ初めてだから。
でもただ暮らす、ならなんとかなるだろう。
そんくらいのタフさは身についてるつもり。
泰での生活が不安、でなくて
泰で仕事する、のが怖いんだ。
みなさん
「タイはいいとこだよ、大丈夫」
「いいなぁ、私も行きたい」
「ごはんおいしいよ」
なんて声を掛けてくれたりするんですが、
お前ら行ったのは観光地だろ?
そりゃ観光「客」なんだからもてなされるだろうよ。
なんて思ったりするわけです。
もちろん参考にはなるのでアドバイス嬉しいのですが。
「行く」と「住む」では大違いなわけで、
まして仕事で行くので「お客さん」ではないんです。
職場は工業地帯だし、工期も決まってる。
やることやらなきゃはじかれるわけで、
言葉も文化も違う中でコミュニケーションとって自分が仕事進められるのか、
がこわいんですよ。
先輩も「出たとこ勝負だ」くらいしか声掛けてくれないし、
結局自分で準備も見繕わなきゃなんですよ。
甘えるつもりもないのでここは大丈夫ですが。
気を張った日が続くんです。
週6勤務で祝日もお盆もシルバーウィークもなくて、自分の誕生日も向こうで過ごす。
息抜きも最初はうまくできないだろうな、ってのもわかってるから
不安なんですね。
旅行で行ったことがある、なんて人が声を掛けてくれるの嬉しいんですが
「楽しいよ」
「ごはんおいしいよ」
と、とてもお気楽にアドバイスくれるのが心苦しく、
私は相談の言葉も飲み込んでしまうのです。
えぇ、とりあえず健康には気を付けます。
●昨日まで(7/8)、父親が勤務していたビルを解体していたこと。
東京の中心にあるようなビルの解体現場で仕事してました。
トラブル続きで、本当に一か月間ほぼ毎日早朝から夜までどっぷり浸かってました。
この案件で自分の仕事のやり方とかようやく見えてきたような気がする。
今まで上司には一応従順を決め込んでいましたが、
トラブルを通して上司の使えなさっぷりも散見したため、
上司に意見、反抗も少し覚えました。
「上司は責任をもつ、とるのが仕事」
ってほんとだなって思う。
その如何でこの人の下で働きたい、この人の下は働きたくないって
出ちゃうもんだね。
あたりまえだけど肩書と人間性は比例しない。
今まで責任をとらず、もしかしたら押し付けて肩書を手に入れた人もいるのかも。
お人よしは損をする、っておれはヤダね。
●先月上旬まで(6/10)、ごみ処理場の煙突をつくっていたこと。
これはいいや。
●先々月のGWに宮城に行ったこと。
●3/11に起きた地震のこと。
これはなんか書こうかどうか迷ったけど、今もあんまり書きたくない。
被災してないのに知った風な口をきいてしまうのではないかと思って。
ただ、怖くなった。泣きたくなった。
自分が住んでた場所、思い出のある土地が姿を変えて
自分の友人知人の安否がわからなくて
惑う皆になにも出来なくて
5月に実際に仙台港見に行ったときの感情は、自分の拙い文章力では表現できない。
明後日7/11で4か月。
その翌日に出発。
自分は日本の節電の夏から離れます。
これも協力になるのかしらね。
生き方・経歴・信念・ビジョン
2011.02.07
日々
仕事でとある現場を担当してきました。
2011.1.17〜31という半月ほどの短い間でしたが。
何をつくってたのかを平たく言うと、規模の大きい煙突のようなものです。
あまり詳しく書けないのが残念ですが。
感じ入るところ、ありました。
以前に兵庫の方で、夏から秋にかけて2ヶ月ほど桟橋の現場に赴任していたのですが。
そことは比べ物にならない規模の案件(新米の半人前のくせに仕事に大小つけるなんておこがましいですが)
だったのです。
正直な話、兵庫の桟橋の案件は結構な苦痛が伴いました。
初めての現場滞在。
関西という慣れない環境と、
関西弁という慣れない言葉のテンポ。
あとは指導先輩。(思想と態度が生理的に合いませんでした)
現場は確かにキツイ。
だけど「現場の自分が一番キツイ仕事をしている」
と信じて上司部下を単純な言葉でけなす態度は受け入れられません。
本人に言わず、新入社員の私に毎朝とうとうと聞かせる所に器の小ささを感じます。
ストレスと、
外食に頼る食生活環境と、
夏の暑い外現場という環境も相まって、なかなか肌が荒れました。
今はだいぶ落ち着いてきました。肌の調子。
得たものももちろんあります。
自分が設計する構造物がどういった段取り、管理の下に施工されていくのか。
現場はどういう仕事をするのか。どういう人たちなのか。
正直な話、私の育ってきた環境から、今まであまり縁の無い(敬遠していた)
人種と今回関わったというのは大きいです。
多様な世界の人たちと連携して、回しながら仕事、社会は成り立っている。
当たり前のことだけど、なんとなくはわかってたつもりだけど、
現場に出て「実感」できました。
現場以外でも「わかってるつもり」の多さに打ちのめされた一年目。
「実感」と「アウトプット」していかないと、動けない。
案外私のアタマとカラダは連動していないらしいです。
能力の高さは環境への適応力の高さ。
伸ばしたいですが、経験ですね。
今回の現場は、兵庫の経験も生きているのか、
半月でも後半ではなかなか使える様になっていたと思います。
でも、まぁもちろんその現場自分が仕事をどう上手くできたか、てのも重要なのだけど、
そこで「なにを感じたか」が重要になってきます。
将来にも。
もう現場上がって一週間くらい経ってしまうので、
下にリアルタイムで記録した自分の言葉を載せます。
衝撃を受けた。
今日から2週間は一生に残る。
影響を与える。
モノ作りの最先端をみた。
規模の大きさは誇りに繋がる。
院に行ってたら完成して関われなかった。
今の事業部に所属しなきゃ関われなかった。
部長が高校のOBじゃなきゃ配慮して貰えなかった。
巡り合わせがスゴいぞ。
もっと上に行きたいぞ。
何気に下線部以下重要です。
「どの環境が自分の身になるか」で
自分は就職を選択しました。
就職してからも悩んでました。実は。
でも、この案件に関わった、という事実は大きな大きな収穫です。
自分の中で、なんだうまく言葉に出来なくてもどかしいけど、
考え方に影響を与えたんです。
それは、いつかこんなデカイ仕事してやろう、とは前から思ってはいたけど、
のらりくらりと生きている自分がいて、それは嫌いじゃないんだけど、
大成するためにちゃんと生きよう、と思いはじめて、
少しずつ、たとえばちゃんとアンテナ張ってこの業界に興味を持って、
勉強なんてかしこまったもんじゃなくて覗いてみたりして、
それだけじゃなくて、それに引っ張られてか、切り替えも重要で、
カラダを鍛え始めたりとか、本を読んだりとか、映画見たりとか、料理をしたりとか、街を見たりとか、
全くもって普通の事なんだけど「行動しよう」って意識が芽生え始めたんです。
それまでは会社から帰ってきて、晩飯は適当にあとは寝るだけだったのだけど、
休日は飲んで、これは続けるけど、
時間をもうちょっとだけ有効に使えるんじゃないかしら?
なんて思い始めたんです。
クソ真面目に生きるつもりなんてないんだけど、
もうちょっとだけ能動的になってみようか、なんて。
なんか、今はそれが必要な気がしたんです。あのタワーに関わってから。
随分と稚拙な文章の羅列になってしまったけど、
特にまとまらないけど。
疲れない程度に。
2011.1.17〜31という半月ほどの短い間でしたが。
何をつくってたのかを平たく言うと、規模の大きい煙突のようなものです。
あまり詳しく書けないのが残念ですが。
感じ入るところ、ありました。
以前に兵庫の方で、夏から秋にかけて2ヶ月ほど桟橋の現場に赴任していたのですが。
そことは比べ物にならない規模の案件(新米の半人前のくせに仕事に大小つけるなんておこがましいですが)
だったのです。
正直な話、兵庫の桟橋の案件は結構な苦痛が伴いました。
初めての現場滞在。
関西という慣れない環境と、
関西弁という慣れない言葉のテンポ。
あとは指導先輩。(思想と態度が生理的に合いませんでした)
現場は確かにキツイ。
だけど「現場の自分が一番キツイ仕事をしている」
と信じて上司部下を単純な言葉でけなす態度は受け入れられません。
本人に言わず、新入社員の私に毎朝とうとうと聞かせる所に器の小ささを感じます。
ストレスと、
外食に頼る食生活環境と、
夏の暑い外現場という環境も相まって、なかなか肌が荒れました。
今はだいぶ落ち着いてきました。肌の調子。
得たものももちろんあります。
自分が設計する構造物がどういった段取り、管理の下に施工されていくのか。
現場はどういう仕事をするのか。どういう人たちなのか。
正直な話、私の育ってきた環境から、今まであまり縁の無い(敬遠していた)
人種と今回関わったというのは大きいです。
多様な世界の人たちと連携して、回しながら仕事、社会は成り立っている。
当たり前のことだけど、なんとなくはわかってたつもりだけど、
現場に出て「実感」できました。
現場以外でも「わかってるつもり」の多さに打ちのめされた一年目。
「実感」と「アウトプット」していかないと、動けない。
案外私のアタマとカラダは連動していないらしいです。
能力の高さは環境への適応力の高さ。
伸ばしたいですが、経験ですね。
今回の現場は、兵庫の経験も生きているのか、
半月でも後半ではなかなか使える様になっていたと思います。
でも、まぁもちろんその現場自分が仕事をどう上手くできたか、てのも重要なのだけど、
そこで「なにを感じたか」が重要になってきます。
将来にも。
もう現場上がって一週間くらい経ってしまうので、
下にリアルタイムで記録した自分の言葉を載せます。
衝撃を受けた。
今日から2週間は一生に残る。
影響を与える。
モノ作りの最先端をみた。
規模の大きさは誇りに繋がる。
院に行ってたら完成して関われなかった。
今の事業部に所属しなきゃ関われなかった。
部長が高校のOBじゃなきゃ配慮して貰えなかった。
巡り合わせがスゴいぞ。
もっと上に行きたいぞ。
何気に下線部以下重要です。
「どの環境が自分の身になるか」で
自分は就職を選択しました。
就職してからも悩んでました。実は。
でも、この案件に関わった、という事実は大きな大きな収穫です。
自分の中で、なんだうまく言葉に出来なくてもどかしいけど、
考え方に影響を与えたんです。
それは、いつかこんなデカイ仕事してやろう、とは前から思ってはいたけど、
のらりくらりと生きている自分がいて、それは嫌いじゃないんだけど、
大成するためにちゃんと生きよう、と思いはじめて、
少しずつ、たとえばちゃんとアンテナ張ってこの業界に興味を持って、
勉強なんてかしこまったもんじゃなくて覗いてみたりして、
それだけじゃなくて、それに引っ張られてか、切り替えも重要で、
カラダを鍛え始めたりとか、本を読んだりとか、映画見たりとか、料理をしたりとか、街を見たりとか、
全くもって普通の事なんだけど「行動しよう」って意識が芽生え始めたんです。
それまでは会社から帰ってきて、晩飯は適当にあとは寝るだけだったのだけど、
休日は飲んで、これは続けるけど、
時間をもうちょっとだけ有効に使えるんじゃないかしら?
なんて思い始めたんです。
クソ真面目に生きるつもりなんてないんだけど、
もうちょっとだけ能動的になってみようか、なんて。
なんか、今はそれが必要な気がしたんです。あのタワーに関わってから。
随分と稚拙な文章の羅列になってしまったけど、
特にまとまらないけど。
疲れない程度に。
A Winter fairy is
2010.12.26
日々
melting snowman.
メリークリスマスでしたね。
2010年の12月の24、25は結局仕事しか予定が入らず悶々としていたyimaです。
でもそういえば24は職場の人と一杯飲んだんだっだ。
予定が入らなかったことに対してテンションだだ下がりの先輩(女性)と
キャバクラ好きで風邪をひいてた27の先輩と
大阪に家庭があるけど「いろいろあんだよ」といって帰らなかった40前のおっさんと
バツイチで30半ばのおっさんと
予定入らず悶々としている新入社員で気ぃ遣いーの自分と
5人、会社の近くのきったねぇ居酒屋で聖なる夜
学生時には考えられないメンツで新鮮な感覚とともに、
これアカンやつや!
これアカンやつやで自分!
と変な汗をかいたHoly night。
心の中は逆にsilent night。
でもまぁ誘って頂いてありがたい、としておきます。
ちなみにみなさんとてもステキな良い人たちです。
でもでも、25はグループの同期で我が家でリッツパーティーをかちこもう!つって
あの、CMでやってるリッツパーティーを実際にやってみよう!つって
いいリッツ入ったから来ちゃいなよ!つって
ノリで企画してみてみたんですけども
何人か来そうな雰囲気を醸し出してくれたんですけども
なんやかんやで結局流れてしまったわけなんですね。
「大学の友達が来る」
このタイミングで!?
「25日は仕事で」
リッツパーティーは夜です!
「ごめん、最近いろいろあって行けそうな雰囲気じゃない、また会ったときに話す」
意味深すぎんだろ!
どうやら日本のクリスマスは恋人以外と過ごしてはいけないようです。
えぇ?もちろん被害妄想です。
まぁ企画も遅かったんでね。仕方ないよね。
新年会以降にリッツパーリーはとっておきます。
まぁまぁクリスマスイブイブイブにケンタッキーでパーリーはさせていただいてたんで
救済はされていました。サンクス。
なんか宅飲みの楽しそうなコンセプトはないかな?
メリークリスマスでしたね。
2010年の12月の24、25は結局仕事しか予定が入らず悶々としていたyimaです。
でもそういえば24は職場の人と一杯飲んだんだっだ。
予定が入らなかったことに対してテンションだだ下がりの先輩(女性)と
キャバクラ好きで風邪をひいてた27の先輩と
大阪に家庭があるけど「いろいろあんだよ」といって帰らなかった40前のおっさんと
バツイチで30半ばのおっさんと
予定入らず悶々としている新入社員で気ぃ遣いーの自分と
5人、会社の近くのきったねぇ居酒屋で聖なる夜
学生時には考えられないメンツで新鮮な感覚とともに、
これアカンやつや!
これアカンやつやで自分!
と変な汗をかいたHoly night。
心の中は逆にsilent night。
でもまぁ誘って頂いてありがたい、としておきます。
ちなみにみなさんとてもステキな良い人たちです。
でもでも、25はグループの同期で我が家でリッツパーティーをかちこもう!つって
あの、CMでやってるリッツパーティーを実際にやってみよう!つって
いいリッツ入ったから来ちゃいなよ!つって
ノリで企画してみてみたんですけども
何人か来そうな雰囲気を醸し出してくれたんですけども
なんやかんやで結局流れてしまったわけなんですね。
「大学の友達が来る」
このタイミングで!?
「25日は仕事で」
リッツパーティーは夜です!
「ごめん、最近いろいろあって行けそうな雰囲気じゃない、また会ったときに話す」
意味深すぎんだろ!
どうやら日本のクリスマスは恋人以外と過ごしてはいけないようです。
えぇ?もちろん被害妄想です。
まぁ企画も遅かったんでね。仕方ないよね。
新年会以降にリッツパーリーはとっておきます。
まぁまぁクリスマスイブイブイブにケンタッキーでパーリーはさせていただいてたんで
救済はされていました。サンクス。
なんか宅飲みの楽しそうなコンセプトはないかな?
握手
2010.11.04
日々
友人知人だったなら
希望する意思と行動で
いつかまたどこかで
会うことも叶うでしょう。
同じコミュニティに属していたのであれば
相手自分が例え希望しなくとも
再会するきっかけは転がって来るでしょう。
共通の友人がいたのなら
何らかの仲を取り持ってくれるでしょう。
コミュニティも違い
共通の友人も特に居ず
今となっては住む場所も遠い
私達の繋がりとは一体何だったのでしょうか。
とても不思議な感覚です。
仙台で学生だったという
非常に曖昧で漠然とした共通項のみを介して知り合った僕らは
再会する術を持たないのです。
勿論再会を望まない、望みたくない、望んではいけないという条件は大前提としてあるのだけど
もともとの希薄な関係に戻っただけといえばそうなんだけれども
今まで会ってきた人はみんな
「いつかどこかでまた会えるだろう」といった
非常に独り善がりな安心感があったわけです。
関係が変わっても縁が切れたわけではない、と
それはやはりコミュニティや住んでいる場所によって「偶然」にでも
会う確率は高いと頭の中の何処かで
独り善がりにタカをくくっているに違いないのです。
けれども今回の場合はそのタカもくくれない程に
偶然にでも会う確率は無いに等しいと頭でもわかっているようで
とても不思議な、虚無感に襲われているのです。
もう会うことはないんだな
縁は切れてこれからは「他人」なんだな、と。
あんなに一緒に居たのに
恐らくもう二度とこの人とは会うことが無いんだな、と。
今までそんな関係の人になった人が居ないものだから
頭が混乱しているのでしょう。
確実にお互いの人生に影響を与えてしまったのにも関わらず
これからは一切関知してはいけないという
なんとも言葉にならない虚無感と脱力感の最中にいるわけです。
ただ、非常に失礼な目線からの物言いだとは思うのだけど、
最後の向こうの様子を見て安心致しました。
出会った頃(出会って少し経った頃)のような、
感情と感受性豊かで前向きな考え方を感じられました。
出会うまでこんなに感受性豊かな人を知らなかったものですから。
最近では(付き合っていた頃では)見られなかったすがすがしい表情をしていたので、
別れて良かったです。
私の方はというと、
言葉少なくロクに目も合わせられず
手持無沙汰で落ち着かなくて水ばかり頻りに飲み、
正直向かいに座っていることに堪えられませんでした。
「バツが悪い」という言葉が一番近かったように感じます。
今思えば非常に無様です。
ただ身勝手に弁解すると、決壊の防止で手一杯だった、とだけ。
15〜16時だけ店にいて、そのあとはすぐ店先で別れました。
ありがとう、と握手して
最後の言葉は
バイバイ。
女性は強い。
おれも笑われないように頑張ろう。
